FXプロフェッサー「鈴川克哉氏」との出会い

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現在、ブログ「FXプロフェッサー 鈴川克哉の大人なFX」を運営している鈴川克哉氏と私「吉田文吾との出会いです。
鈴川さんは、FX(外国為替証拠金取引)会社と外資系銀行で、為替に携わっていて、
早くも出会ってから11年が経とうとしています。
【為替について熱弁をふるう鈴川さん】
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■鈴川さんとの出会い

私が、鈴川さんと初めて会ったのは、21世紀が始まった年である2001年の12月です。

当時は、FX(外国為替証拠金取引)市場がようやく広まり始めたばかりで、FXのオンライントレードを提供している会社は数社しかなく、電話取引が主体だったことを覚えています。FXをサービスとして提供している会社も、ほとんどが商品先物会社が主体で、金融業界の中でもFXの存在があまり知られていない時期でした。

そんな状況の中、商品先物会社の一社「株式会社大平洋物産」では、社長の出雲敏彦氏が商品先物取引に加えてFXを自社の商品ラインナップに加えたいと熱い思いを持っていました。しかし、今まで商品先物取引しか扱ったことがないうえにオンライントレードを提供していたわけでもなく、自社の社員だけでは新しいビジネスであるFXに対応しきれないとのジレンマを抱えていました。

そこで、米国FXCM社のIB(取次業者)として会社を立ち上げていたFXCMジャパン社に私が入社し、鈴川さんが大平洋物産でFX事業責任者として二人三脚で進めていくプランを当時のFXCMジャパンの佐藤利光社長がまとめあげたのが私と鈴川さんが出会うきっかけでした。

私は、商品先物取引会社のフジフューチャーズで仕事をしており、銀行のインターバンクディーラーの方は、あまり存じ上げていませんでした。そのため、書籍やテレビなどでの印象しかなく、ディーラー=何千万、何億ドルのポジションを持っても平気なブルドーザーのような方か知的でクールな氷のような方を想像していました。正直に言うと上手く協力関係を築いていけるかどうか半信半疑でした。(笑)

ところが実際に会ってみた鈴川さんは、ごくまっとうな穏やかな方。ああ。この人なら大丈夫だと安心した事を覚えています。そこからは、まさに怒涛の勢い。初めてお会いしたのが12月初旬、そしてプロジェクト自体がまとまったのが確か12月の中旬から下旬。そこから事業スタートの目標を3月に置いて二人三脚のプロジェクトが発足したのです。さあ時間は三カ月程しかありません。

■株式会社大平洋物産でのオンライントレードFXプロジェクト開始

私もFXCMジャパンに入社したばかり、鈴川さんも大平洋物産に入社したばかり。しかも、大平洋物産には、まだ鈴川さんの机やパソコンなどのインフラが整っていない状態。そこで先方の準備が整うまでの間は、FXCMジャパンの社内で作業を行いました。

とはいえFXCMジャパン自体も当時は、社長含めて役員が四人、社員は私一人という状態でしたので、大平洋物産のプロジェクトとFXCMジャパンの仕事の両方を行っていました。米国FXCM社のオンライントレードシステムを使用することは、決まっていましたので、早めに決めなければいけないことは、提供サービスの商品名。

これを先に決めておくとモチベーションも上がりますし、各書類や原稿作成が楽になります。幾つか候補があった中で鈴川さんのアイデアで出てきた名前が「FX-REAL」です。

■FX-REALに込められた思い

当時は、まだまだFX市場の黎明期。その中で、各FX会社が宣伝に使っていたトークがスワップポイントによる利益確保のススメ。

その頃の米国は、金利が1%~2%、欧州が3.25%と日本と他の国の金利差があったため、1年間保有しているとそれなりのスワップポイントが確保できました。さらに、うまく為替が動けば為替差益も入ってダブルで美味しいという事をセールスポイントとして宣伝している会社がほとんどでした。

それに対して鈴川さんは、スワップポイントは為替変動の大きさに比べればわずかな利益でしかない。しかも金利差は修正される可能性があることからスワップポイントだけを狙った取引に警鐘を鳴らし、もっと為替相場の動向に注意を払った取引を行うべきだと言い続けていました。

鈴川さんは、その思いを「REAL=本当の」という言葉に込めていたのです。

これは、鈴川さんが、ソシエテ・ジェネラル銀行とNMBバンクで、ディーラーとして経験した哲学です。実際、私のその後に、何人もの現役および元インターバンクディーラーの方と会いましたが、皆さん、同じ事を言っていました。しかし、2001年当時のFX業界で、鈴川さんのようにお客様の事を考えて、真のFX(FX-REAL)を普及させようとした方は数少ない存在でした。

■FX-REALのリリースからスタート

FX-REALがスタートしたのは2001年の4月。実質4か月程で事業をスタートさせる事になりましたが、この時の苦労は忘れられません。システム導入の手続き・約款・取引説明書・操作マニュアル・封筒など顧客向けおよび社内向け資料やマニュアル・社内資料の作成。

ホームページの作成や新規顧客獲得資産施策など山積みとなっている事業スタートの準備を大平洋物産のスタッフとFXCMジャパンのスタッフ双方で仕上げていきました。

この頃は、まだFXに関する法的整備も行われておらず、オンライントレードを提供している会社も少なかった時期に、スタートする事が出来、半年後には事業を軌道に乗せることができました。

当時は、Webの黎明期。まだまだマーケティング手法は手探り。ヤフーのオーバーチュア広告・グーグルのアドワーズを使いながらネット広告に出稿。

■怒涛のFX市場の伸び

その後、FXは24時間オンライントレードを少額の証拠金で出来るという事もあり、順調に数字を伸ばしました。

2001年3月には約323億円の預かりが10年間で7,509億円と20倍以上の伸びで成長しました。

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出典:矢野経済研究所

2005年7月には、FXを規制する改正金融先物取引法が施行され、FX会社は金融先物取引業者として登録制になり、名実ともに金融商品の一つとして認知度が上がりました。

さらに2007年9月には金融商品取引法が施行され、金融商品全般を一つの法律で取り扱うように法的には変わりました。

その間、FX会社はサービス強化と資本力強化の方向に進んでいったことから、鈴川さんがFXCMジャパンに入社し、私が上田ハーローに入社し、それぞれ異なった立場でFX業界の発展に尽力してまいりました。

世界経済的にはサブプライムローン問題からリーマンショックによる金融危機が発生し、FXが伸びていくとともに為替市場は大荒れの時期が続き、日本の個人投資家がNZドルを大量に保有しNZ経済の実力以上に高くなり「NZドルを買ってくれるな」とお願いがあったり、ミセスワタナベ・キモノトレーダーとして日本からのドル買いやポンド買いが市場に影響を与えるとして海外ニュースで頻繁に取り上げられたこともありました。

Webマーケティングの最先端を走っていた業界でしたから、広告・SEO・アフィリエイトとすべてを体験することができ自分の力を思う存分試せました。

■FXプロフェッサーのスタート

そして、2011年10月、私が株式会社センターサークルを設立すると同じタイミングで鈴川克哉氏が、FXプロフェッサーとしてFXアナリスト・セミナー講師としてスタートすることになりました。これも何かの縁だと嬉しく思うとともに鈴川さんの今後の活動について全面的にバックアップを行っていきます。

今でも鈴川さんのFXに対しての熱い思いやお客様に本当の為替取引を知っておいてもらいたいとの気持ちは変わっていません。その思いが鈴川さんのプロフィール、書く文章や話す内容から伝わってきます。

■鈴川克哉氏のプロフィール

1959年生まれ、【FXプロフェッサー 鈴川克哉】FXprofessor

【FXはイチかバチかのギャンブルではない。】

【世界の金融市場を相手にした知的スポーツ】

【今こそ、「大人のFX」を鈴川克哉と共に目指しましょう。】

【鈴川さんの略歴】
1982年~1986年:仏系ソシエテ・ジェネラル銀行
1987年~1999年:蘭系NMBバンク
2000年~2001年:エース交易、外国為替証拠金取引担当
2002年~2004年:大平洋物産 外国為替部室長
2004年~2011年:FXCMジャパン

ブログ:FXプロフェッサー 鈴川克哉の大人なFX

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